真面目なPR業界の方々は「PR」という言葉を諦めて、「広報」に統一した方が良いのではなかろうか
「PR」という言葉が誤解されている
前回のコラムでは、昨年のワールドマーケティングサミットでの日本のマーケティングへの問題提起を受けて、マーケティングという言葉が日本においては狭い意味で使われてしまっているのではないか、という話を書きました。
このマーケティングという言葉以上に誤解が大きくなってしまっているのが、「PR」ではないでしょうか?
アドタイコラムの読者の方々には釈迦に説法になってしまいますが、PRと言う言葉はもともとパブリックリレーションズ(Public Relations)という英単語の頭文字を省略したもの。直訳するなら大衆との関係作りというところでしょうか。
もともと第二次世界大戦中のナチスドイツなどによるプロパガンダの進化などを背景に、企業に普及していったものだそうです。このパブリックリレーションズが日本においては広報と翻訳され、PR(ピーアール)という省略語でも呼ばれるようになり、現在にいたります。
マスメディアが全盛の時代においては、パブリックリレーションズと言っても、パブリックと関係を構築するための手段はマスメディアが中心であったため、ほぼメディアリレーションズがPRの仕事の中心になっていたというのが現実でしょう。
一方で、米国のPR2.0の提唱者であるブライアン・ソリスが2009年に出版した「Putting the Public Back in Public Relations(邦題:新しいPRの教科書)」では、タイトル通りもう一度PR(パブリックリレーションズ)を、マスメディアリレーションズ中心からパブリックが対象であったはずのPRに戻そうという提唱がされています。
そういう意味で、私自身、アンバサダープログラムやブロガーリレーションズなどを仕事にしている人間ですが、これらのソーシャルメディアにおけるコミュニケーションというのはいわゆるPR活動の一部だと考えており、個人的にもPRという言葉には思い入れがあります。
ただ、やはりここに来て、世間一般に受け止められる「PR(ピーアール)」という単語のイメージは、パブリックリレーションズとはほど遠いイメージなのでは無いかと諦めの境地にいたりつつあります。
その一つの要因は、昨今話題になっているメディアにおけるステマ問題で、そこに出てくるPR会社についての記述です。
PR会社がステマを主導している?
先月中旬には「週刊ダイヤモンド」が、ステマの「元凶として浮上してきたのが、ステマ記事を水面下で仲介している一部のPR会社たちの存在」だとするヤフー関係者の発言を紹介した記事を公開しておおいに話題になりました。
実際のところは関係者にしか分からない問題ではあるのですが、本来PR会社の活動というのは、広告会社がメディアにお金を払って企業のメッセージを掲載する手法を中心にするのに対し、基本的にはコミュニケーションやアイデアで、メディアに「お金を払わずに」企業や商品について取り上げてもらう手法のはずです。
それが今回、メディアにお金を払ったことを隠す手法を主導していた黒幕として名指しで批判されてしまっているわけで、ある意味、PR会社の存在価値自体を否定するような指摘がされてしまっていることになります。
実際、伝聞で聞いたところによると、一部では私も大好きなPRの教科書である書籍「戦略PR」で定義された「戦略PR」という言葉を、テレビ番組への露出をお金で買うという意味で使っている人もいたりするという噂もありますから、人によってPR会社の役割の認識自体が違うのかもしれません。
また、日本のPR会社はメディアとの人間関係で記事を載せるのに慣れてしまった人が多いため、本当の意味でのパブリックリレーションズを意識したコミュニケーションプランは、総合広告代理店のプランナーの方が得意なんだ、ということをおっしゃる方もいますから、そもそもPR会社と広告代理店の役割分担自体も混じってきているのでしょう。
で、さらに改めて一連の騒動で痛感したのが、日本の読者がそもそも「PR(ピーアール)」という言葉に感じる印象がパブリックリレーションズという言葉の意味とは全く異なるということ。
そもそも、私自身もこの業界に入るまで、「PR(ピーアール)」という言葉を宣伝と脳内変換していた人間です。だって、学生時代に一番最初に遭遇する「PR(ピーアール)」って「自己PR」じゃないですか。自己PRって、自分の良いところをアピールすること、ですよね。
自分の良いところをアピールって、まぁ自己広報かもしれないですけど、率直にこの言葉から受け取るイメージだと自己広報より自己宣伝、ですよね。
まぁ、そう脳内変換してしまうのは私だけかもしれませんが、さらに悪いことに日本では何故か記事広告に「PR」というタグが使われるのが常態化しています。本来、記事広告なら「AD」というタグであるべきだったと思うんですが、なぜPRになったのかは正直良く分かりません。
これは日本だけの現象のようで、米国のデジタルマーケティングメディアDIGIDAYの記事によると、米国の記事広告では「Advertisement」「Promoted by」「Presented by」「Brought to you by」「Sponsored by」というような表現が使われているようです。
いずれにしても、日本では実際問題多くの記事広告にPRタグが使われていて、実際私の会社でも使っているわけですが、そうすると一般の読者の人たちは「PR」というのは広告のことなんだな、ということを覚えていくことになるわけです。
そういう人達からすると、先程の「週刊ダイヤモンド」のPR会社についての記事を読むと、当然PR会社=広告会社、宣伝会社、という脳内変換がされるはずです。
今やほぼ芸能人化している「はあちゅう」こと伊藤春香さんが、電通を退職してすぐにアドタイで「PRガール」というコラムの連載を開始した時、私の周辺のPR代理店の方はそれはもうイライラと皆さん怒っていました。
まぁ、そりゃそうですよね。
電通勤務時代に「アドガール」という本を出したばかりの伊藤さんが、一年も経たずに「PRガール」を名乗ったわけで。そりゃあ長くPR会社でプライドを持って仕事をしていた人たちからすると、急にアドガールが自分たちの代表みたいなタイトルのコラム始めたらイライラするとは思います。
でも、実は普通の人たちからしたら、伊藤さんは電通とトレンダーズでの経験を活かしてフリーのコメンテーターまで、一気に上り詰めた見事な「自己PRガール」なわけで、「PRガール」というコラムタイトルに実は何の違和感も感じないんじゃないかなと思ったりします。
そういう意味では、日本の一般の人たちの間ではもともと「PR」という言葉はパブリックリレーションズと捉えられておらず、おそらく今後も捉えられる可能性は低いような気がしてしまいます。
真面目なパブリックリレーションズ業務に携わっている方々は、「PR」という言葉を使うよりも素直に日本語の「広報」という言葉を使われた方が良いのではないか、とつい思ってしまったりもします。実は、PR業界の知恵を結集して、日本における「PR(ピーアール)」という言葉のイメージを変える運動をしていただくことこそが、PR業界における最も重要なPR活動ではないかと思ってしまうのは私だけでしょうか。
※このコラムは、宣伝会議Advertimesに寄稿したものの転載です。