私たちは、良い広告を作るだけでなく、広告自体を人々にとって良いものにするための努力をすべき

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広告が嫌われたのは誰の責任?

前回のコラムでは、ステマやノンクレジット広告手法が、どうして日本ではなかなか減らないのかという構造について考えてみました。

今回は、このテーマに対して5月11日に開催されたメディアの未来を考えるイベントである「iMedia メディアサミット2015」で興味深いプレゼンを聞いたのでご紹介しておきましょう。

そのプレゼンターとは、メディアサミットの基調講演のスピーカーとして登場した、シンディ・ギャロップさん。

シンディ・ギャロップさんは、2003年にはアドバタイジングウーマンオブザイヤーに選ばれたことがある上に、マルコム・グラッドウェルやセス・ゴーディンと共に、今最も重要なマーケティングストラテジスト15人の中に選ばれ 、100人のMost Influential Tech Women On Twitterの中の33位、そしてツイッターでフォローすべき広告業界人のトップにえらばれるなど、米国の広告業界におけるセレブリティとも言える人物。特にTED2009での「Make Love、not Porn」という性教育に関する問題提起をするプレゼンは非常に有名ですね。

彼女が今回のメディアサミットのプレゼンで強調していた一つのメッセージがこちら

“People hate advertising in general, people love advertising in particular”

意訳すると「人々は一般的には広告が嫌いだけど、一方で愛している広告はある」というところでしょうか。

人間は、「一般的な『広告』という存在を好きですか?」と質問されると、ほとんどの人が「好きじゃない」とか「興味が無い」とか答えるとか。ただ、そんな人も「あなたの好きな広告は何ですか?」と質問されると、ほとんどの人が目を輝かして「私の好きな広告はね・・・」と語り出すそうです。

実は、広告というのは人々に愛されるべき存在だったはずなのに、こんなに人々に嫌われる存在になってしまったのは、私たち広告業界の人間の責任なのではないか?と彼女は会場に語りかけます。

彼女が指摘していたのが、ネット上で動画広告を強制的に表示させるための、スキップ保留機能。YouTubeなどの動画再生時に強制的に広告動画が表示されて「この動画はあと5秒でスキップできます」あと4秒、あと3秒とカウントダウンするあれですね。

そんな風に明らかに広告をスキップしたいのは分かってるけど、スキップをさせない邪魔者としての存在を強調するのが本来の広告のあるべき姿でしょうか?

これまでの広告関係の人間の仕事は「良い広告を作ること(Make Good Advertising)」だったけど。これからの広告関係の人間の仕事は「広告自体を良いものにすること(Make Advertising Good)」なのではないか?

というのがシンディ・ギャロップさんのメッセージでした。

広告を世の中にとって良いものにする努力

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実は私は彼女のプレゼンを東日本大震災の直後である2011年5月にも聞くことができ、その時にも同じメッセージを受け取っていたのですが、今回はタイミングがタイミングと言うこともあり、より重くその問題提起を受け止める結果になりました。

広告という存在が、読者や視聴者にとって邪魔者であるという確信犯的な潜在意識があるからこそ、ノイズのような広告手段ばかりに力を入れてしまうし。効率性を追い求めるあまり、どこまでも同じ人を追いかけて多くの人に気持ち悪がられても、それを気にせずモノを買ってくれるごく一部のターゲットのために、他の人の信頼を失っているのではないか?という問題提起は、実に核心を突いていると言えると思います。

ステマやノンクレジット広告手法は、この問題の典型的な現象と言えます。「広告」と明示することこそが、読者や視聴者に対してネガティブなメッセージを発してしまうと言う潜在意識があるからこそ、それを隠したい、と思ってしまうわけです。

広告が邪魔者扱いされて無視されるものだから、それでも見てもらえるようにもっと邪魔して強制的に表示すれば良い。そんな考え方で広告を作っていたら、広告はますます世の中から邪魔者であり「悪」の存在になってしまう。

私たちがやるべきは、広告を「悪」の存在にしないように、広告をもっと世の中にとって良いものにしていくための努力なのではないか?というのが広告業界出身であるシンディ・ギャロップさんの問題提起だと受け止めています。

広告を広告であると胸を張って伝え、その広告を広告と分かっても読者や視聴者が喜んで見てくれて、広告を見た読者や視聴者が喜んで行動してくれたり、企業のファンになってくれるという自信があれば、ステマやノンクレジット広告手法などに手を出す必要は全くありません。

私たちが参考にするべき象徴的な事例は「祝!九州 九州新幹線全線開CM」でしょう。このCMは、2011年3月の公開後まもなく東日本大震災が起こり公開中止となりましたが、公開中止後YouTubeにアップされた動画が話題になり200万回以上再生され、テレビCM放映再開を望む声が多数集まる結果になったことで有名です。

このCMは、九州新幹線が開通する喜びを九州の人達の中で共有するだけでなく、大震災で沈む日本中の人達の心をつなぐ一つのシンボルになりました。このCMは邪魔者としてスキップされる存在ではなく、ネットでわざわざ検索されて何度も何度も同じ人に積極的に閲覧される広告になったのです。

当然、これと同じ事例を再現しようと思っても誰も二度と再現できないわけですが。広告にはそういう力がある、というのを今一度私たちは考えるべきだ、ということは間違いなく言えます。

このCMをつくっている人達が、広告というものが読者や視聴者に邪魔なものであって、スキップされるのが当然だから強制的に5秒待たせるものであって、と思っていたら、こんな感動的なCMを作ることはできなかったはずです。

九州新幹線の開通をみんなで喜びたい、喜びを皆で共有したい。その手段が広告だった、という順番だったからこそ、これほどまでに良い広告ができあがったのだと思います。

私たちは、単なる良い広告を作るだけでなく、広告自体を人々にとって良いものにするための努力を、もっともっとすべき。

あなたは、この言葉を聞いてどう思いますか?

※このコラムは、宣伝会議Advertimesに寄稿したものの転載です。

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2016年8月1日


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