広告の仕事は、人の幸福について考えること

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【前回の記事】「広告クリエイターこそ「顧客視点」のコミュニケーション設計に向いている」はこちら

前回は、広告クリエイターに必要な顧客視点についてのお話しでした。今回は、もう一段大きな視点に立ち「広告」という仕事について考えます。3月に発売した『顧客視点の企業戦略』(発行:宣伝会議)は、広告業界で働く人にこそ読んでもらいたい一冊です。なぜなら広告を考えることは、人の幸福について考えることであり、それは生活者の暮らしや思いを大切にすることと同意義だからです。広告は時代と並走する必要がありますが、そのヒントが顧客視点というキーワードに隠れているのです。

「広告を考えること」は「時代の空気を呼吸すること」

「広告は時代を映す鏡」という言葉があります。

商品や企業が元気であれば、広告も元気になります。画期的な商品が生まれれば、広告も驚きに満ちたものになります。さらに広告は生活者に対するものなので、その時々の人の暮らしが自然と反映されていきます。

そうした広告の時代性や社会性を言い当てたのが冒頭の言葉です。この事例として挙げられるのが、バブル景気の真っただ中の1988年に発売された栄養ドリンク「リゲイン」の広告です。「24時間、戦えますか」というキャッチフレーズで一世を風靡したCMを覚えている人は多いでしょう。

誰もががむしゃらに働き、夜通し遊び続けた当時、「24時間、戦えますか」は、時代の空気を見事に言い当てたコピーだったわけです。しかしワークライフバランスが重視され、働き過ぎが問題になっている今の時代、このコピーは明らかに問題があるでしょう。

広告クリエイターは「時代の空気感を読む力」が必要なのです。そして、いかに時代にフィットする表現やメッセージを考えられるかが常に求められているというわけです。

広告を考えるとはどういうことなのか

ここに1991年の「TCC広告年鑑」があります。

1991年はバブル景気の後期です。当時は、先ほど述べたリゲインが大活躍し、経済も活気にあふれ、世の中全体がイケイケムードの時期でした。そうした時代のおおらかさも手伝ってか、この時期の広告は勢いのある名作が多いのが特徴です。

そのTCC広告年鑑の冒頭に、編集委員長であるコピーライターの一倉さんは序文を寄せています。以下、抜粋して掲載します。


大変だけど、幸福な仕事。

(前半略)
私たちの仕事が幸福である理由は、別のところにあるだろう。
衒いなく驕りもなく言えば、それは幸福について考える職業であるからだ。
なぜなら、私たちが単なる「幸福の安売り屋」になった時、
私たちの表現はもはや、人と何のコミュニケーションもなさない。
送り手と受け手の関係は、そこまで育ったのだ。
一片のジョークでさえ、そうである。
人の心は動きにくく、しかし、揺り動かされて ほろころぶ。
それを見つけることは、大変だけれど、幸福な仕事ではないだろうか。
(コピー:一倉宏)


この序文は当時の広告人たちの心を打ち話題になりました。
当時はバブル後期の華やかな時代です。しかしそうした時代の空気に流されることなく、一倉さんはちょっと冷静に「改めて考えてみませんか」というトーンで私たちに語りかけたのです。この時代を読む目に、今更ながら尊敬です。

ここで一倉さんは、広告業界で働く価値や意義について語っています。そして数ある価値の中から「広告について考えることは、人の幸福について考えることなのだ」と指摘しています。

この視点に、広告業界で働く私たちの仕事が再定義されたような、そんな素敵さを感じるのは私だけではないはずです。そして、この視点は時代を超えて今こそ大切にされるべき視点だと思うのです。

メディアや時代が変わっても変わらないこと

新商品は多くの場合、それがあったらもっと人の暮らしに役に立つだろう、誰かのニーズに答えるものになるだろう、誰かに喜んでもらえるだろう、という視点で開発されているはずです。

つまるところ、企業が開発する新商品は「より良い暮らしや、より良い社会になること」を目指しているはずです。そして広告とは、それらの利便性をいかに生活者に伝えるかという存在です。

では、どうしたらその商品を必要としている人たちに、あるいは今は必要だと気づいていない人たちに、その商品の価値を上手に伝えることができるのか。

その思考プロセスは、換言すれば「人の幸福について考えること」であり、そうした「人の幸福について考えること」を仕事にしている広告クリエイターは、なんと幸せな仕事をしているのだろう、と一倉さんはおっしゃるのです。

これは大変、誇らしい指摘です。広告の仕事が一気にグレードアップした感じがします。しかし一倉さんは、その気持ちにキチンとブレーキもかけています。伝える立場の責任についてです。人の幸福について考えた時、安易で表面的な表現はふさわしくありません。「幸福の安売り」ほど、困ったものはないというのです。

広告クリエイターはあくまで誠実に、自分の体重を乗せて、自らが信じていることに従って、広告コミュニケーションを考える必要があります。本来、そうしたものでなければ、人に何かを伝えることはできないはずです。故・杉山登志さんも残しているように、「嘘をついてもばれるものです」。

マス広告の場合、企業からのメッセージはテレビや雑誌などのマスメディアを通じて生活者や顧客に届けられます。そして肝心のメッセージの中身に関しては、広告クリエイターの出番となるわけですが、そのポイントはいかに血の通ったコミュニケーションにするかというものです。

つまりマスメディアのメカニズムと広告クリエイターの存在が補完関係のようにタッグを組んできたからこそ、今まで広告が人に愛され、受け入れられてきたのと言えるかも知れません。

顧客視点の重要性

今や時代は変わり、ソーシャルメディアを通じて企業は直接、生活者とコミュニケーションできる時代になりました。生活者とのコミュニケーションの仕方も、マスメディア一辺倒ではなく、リアルな接点を重視した体験なども重視されるようになっています。

こうした時代の変化に対応する一つの指針として、一倉さんの指摘は参考になるのではないでしょうか。一倉さんによる「人の幸福について考える」という姿勢は、生活者や顧客、ユーザーの立場になって物事を考えることが大事なのだと言い換えることができます。

ここを起点にコミュニケーションの方法論を今の時代に合わせて変化させてみてはいかがでしょうか。かつては彼らの幸福について考え、「広告」を制作してきたわけですが、今や彼らと直接コミュニケーションできる時代です。彼らと会ったり、一緒に活動したりすることもできるのです。

彼らの幸福について考えた時、企業は今まで以上に何を提供することができるのか、新しい発想で取り組む必要があります。例えばネスレ日本では、ネスカフェアンバサダーのために「キャンプ」を開催しています。これは一見、コーヒービジネスと関係ないように思われますが、コーヒーが提供できる豊かな時間という意味では、何もしないゆっくりできる時間の提供がお客様とのエンゲージメントにつながっている好例です。

このように広告を考える仕事からできることは、まだまだたくさんあると思います。

広告業界で働く私たちは幸せなのかもしれない

企業活動の最終目標が、人の幸福なのであれば、そこに従事できることは、とても幸せなことなのだと思えてきます。

広告業界で働く私たちは、「人の幸福について考えることを仕事にしている」という立場にいる自分自身を、もっと幸福に感じてもいいのかも知れません。

※このコラムは、宣伝会議Advertimesに寄稿したものの転載です。

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2017年4月18日


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